ユイマールが目指したこと

孤児院「太陽の子ども達」の自立

NGOユイマールは、モンゴル・ダルハン市の孤児院「太陽の子ども達」より緊急支援の要請を受け、「太陽の子ども達」を卒業する子ども達の自立を目的に設立をしました。

孤児院「太陽の子ども達」は、心理学や医師などの専門家のもと、子ども達のトラウマ解消と徹底された精神的ケアがなされており、エルデネ・チョローン所長によって家庭的で愛情にあふれた環境がつくられている孤児院です。

NGOユイマール創設者の照屋朋子は、学生時代に孤児院「太陽の子ども達」と出会い、その素晴らしさに惚れ込み、何度も孤児院に通っていたことから、孤児院の危機の際エルデネ所長より連絡を受け、NGOユイマール(当時:NGOゆいまーるハミングバーズ)を設立しました。

モンゴルでは、孤児院を卒業した子ども達の多くが、自立への困難を抱えており、その結果、再びマンホール生活に戻ってしまう「マンホールアダルト現象」が起きています。

孤児院「太陽の子ども達」でも、最年長のルーヤ君が、孤児院卒業の年を迎え、大学に合格しているにもかかわらず、経済的な理由から進学が難しい状況であったために、NGOユイマールでは「太陽の子ども達」の卒業生向けに大学進学奨学金を設立し、彼らの学びたい学問・学校で、専門性をつけるサポートを始めました。

その後、活動を続ける中で、自立のためには「諦め癖」「自己否定感」「心のよりどころ」が必要であることに気付き、子ども達が音楽を通して自己肯定感を育める「音楽プログラム」の支援を行いました。日本での「太陽のコンサート」やホームステイの結果、子ども達は「努力すれば夢は叶う」ということを実感する事ができました。それは、将来への展望や学ぶ意欲へと繋がり、高い大学進学率へと繋がっていきました。

そして、2012年には、孤児院卒業生の29人のうち26人が大学に、3人が専門学校に進学し、モンゴル最難関校への進学や国立医学部への首席入学を果たしました。大学・専門学校の卒業後も全員が就職をし、全員の自立を達成することができました。

「太陽の子ども達」は、日本でも注目され、2013年にはNGOユイマール以外の日本の5つの団体も支援を行うようになり、「太陽の子ども達」の支援体制が強化されていきました。
NGOユイマールの支援がなくとも、孤児院での音楽教育、日本でのコンサート、大学進学の奨学金も十分にまかなえる状況となっていたため、エルデネ所長らと話し合いを重ね、2013年6月をもって、全ての支援を他の団体に引き継ぎ、ユイマールからの支援を終了することになりました。
その後も「太陽の子ども達」では、後継の団体によって、これまで以上に充実した支援と運営がなされています。

世界中の子ども達が自尊心を持って暮らすことができ、自己実現を目指せる社会

私たちは、「太陽の子ども達」での活動により、「全ての子ども達には可能性があり、環境次第で子どもは変わっていく」ことを実感する事ができました。

一方で、モンゴルの街中には、マンホールに暮らす大人たちが年々増え、世界の多くの国にはストリートチルドレン、子ども兵、児童買春に身を置く子ども達がいて、限られた選択肢の中で生きている現状があります。

NGOユイマールの支援対象を「太陽の子ども達」から「世界中の子ども達」へとひろげ、世界中の全ての子ども達が自らの夢を切り拓いていける社会をつくりたいと、2012年に「世界中の子ども達が自尊心を持って暮らすことができ、自己実現を目指せる社会」へとビジョンの変更を行いました。

そして、支援対象をモンゴル・ウランバートルの「モンゴル国立孤児院(ウヌルブル)」と「ドンボスコ孤児院」へとひろげました。

モンゴル国立孤児院では、自立に必要不可欠な自己肯定感の醸成のため、孤児院に音楽プログラムを導入し、4名のプロの音楽家を雇用し孤児院に派遣しました。その後、子ども達へのメンタリング、コーチング、孤児院職員向けのチームビルディングやワークショップを通して一体感をつくり、孤児院卒業後の自立にむけて、孤児院とユイマールが一丸となって取り組みました。
存続の危機に瀕していたドンボスコ孤児院に対しては、クラウドファンディングを用いて運営資金をあつめ、孤児院存続へ寄与することができました。

2015年、照屋が世界の若手リーダー50人の1人として、ダボス会議に参加したことがきっかけとなり、ビジョンに掲げた「世界中の子ども達が自尊心を持って暮らすことができ、自己実現を目指せる社会」の実現のためにはNGOユイマールという団体の形に限らない多様なアプローチが考えられることに気付き、NGOユイマールを解散し、新しい挑戦を模索することと致しました。