ある少年の話〜マンホールチルドレンとの出会い〜

(文責:照屋朋子)

はじめに
マンホールで暮らしている子ども達。
彼らの姿を想像すると、あなたはどんな感想を持ちますか?
「なんて可愛そうな子なんだ」
「なんて悲惨なんだ」
こういった、同情の念がわくのではないでしょうか。私はそうでした。
けれども、実際にマンホールで暮らす子ども達と出会って、その考え方は変わりました。
私の出会った少年たちはとてもたくましく、優しさに溢れていました。
私より、ずっと努力しているし一生懸命に生きています。
しかし、彼らはどんなに頑張ってもマンホール暮らしから抜け出せない。
…そんな現状を目の当たりにしました。
悲惨なのは、その子ども達ではなくて、その子ども達をとりまく環境と、
環境によって生み出された諦め癖、心のより所の無さだったのです。
それが、私の知っているマンホールチルドレンです。

このコーナーでは、大学から大学院の間、私がユイマールの活動とは別で、
個人的に関わっていたアルタン君(仮名)との関わりをお伝えしていきたいと思います。

1.出会い(2005年9月)
「お姉ちゃん、お金をちょうだい。」
フラワーセンターというデパートの前でお金をせがまれたのが、私とアルタン君(15歳)の出会いでした。
「お姉ちゃん、お金をちょうだい。」
こう言って、彼は少し控えめに手を出しました。ススで汚れた顔や洋服。
一目で、マンホールに住んでいることがわかりました。
彼らの中には、強引にお金をせがむ子ども達も多いのですが、彼には何か違うものを感じました。
一緒にいたモンゴル人の友人オトさんも「この子は素直な目をしている」と言っているので
「食事をご馳走するから話を聞かせてくれないかな?」
私は思い切って話をすることにしました。すると、彼はとても嬉しそうに
「弟も連れてきていい?大通りで歌を歌って物乞いしているから」
と言い、数分後、スキップで弟を連れてきました。
私、友達のオトさん、アルタン君、アルタン君の弟ブフくん、バット君のの5人で食堂に向かいました。

マンホールチルドレン

2.冷たい視線
「出てけ!」「臭いわねぇ…」
近くのゴアンズ(大衆食堂)に入ろうとしましたがすぐに追い出されました。
何軒も回りましたが、入れてくれるお店は見つかりません。
お客さんからナプキンを投げつけられたこともあり、とても腹がたちました。
9月の肌寒い時で、彼らは汗もかいていないし、臭くなんてありませんでした。
彼らの馴染みの食堂が5キロ先にあるということで、タクシーで移動することにしました。
ところが、手を上げてタクシーをつかまえようとしても、一行につかまりません。普段ならありえないことです。
「歩いていこう」
アルタン君が言いました。
私は、何ともいえない屈辱感におそわれ、アルタン君の弟ブフの手をとって道の真ん中を堂々と歩きました。

「おまえは中国の神様か!?」「気持ち悪い」
外国人の女がマンホールチルドレンと歩いている姿が珍しかったようで、至る所で野次られました。入ったその食堂でも、他の客達がジロジロこっちを見てきました。
(3人が嫌な思いをしているのではないか?)
私は少し気になりましたが、彼らは堂々としていました。
それどころか、待ち時間に他のお客さんのテーブルに行って平気な顔して座っていました。

3.生い立ち
「孤児院から逃げ出してきたんだ」
「逃げ出す度に先生が探しにくるんだ。もう3回は捕まったかな。まるで脱獄した囚人を追うかの形相だよ。」
冗談まじりに話すアルタン君に私は驚いてしまいました。
(孤児院よりマンホールを彼は選んだのだろうか…)
アルタン君は、つい1年前まで家族と暮らし学校にも通っていました。しかし、母親が子連れの男性と再婚して以来、一家の暮らしは傾き、継父から虐待を受けるようになったと言います。ある日アルタン君は弟を連れて家を出ました。しばらくマンホールで暮らした後、外国の宣教師に声をかけられ、孤児院に入ることになります。その孤児院は設備も先生方も素晴らしかったのですが、子ども達の間で年上の者に年下の者が絶対服従しなければならないという規律があり、息苦しかったと言います。ついに、彼は弟を連れて孤児院から逃げ出しました。

4.アルタン君の日常
孤児院脱走後に、2人の仲間を見つけて4人グループを組んで暮らしています。
日中は、弟が大通りで歌ってお金を稼ぎ、一日の稼ぎ(平均100円)を4人で分けて食事をとっています。稼ぎのない日は落ちている煙草を吸ったり、ビニールを噛んで唾液を出して空腹を紛らわしています。どんなにお腹がすいていても盗みは絶対にしないと言います。
「好きなものは何?」
と聞いてみました。
アルタン君「アルペンゴールドだな。ロシア製のチョコレートで凄くおいしいから。」
アルタン君の弟「僕はショートケーキだよ。たくさんお腹一杯になるまで食べたいな〜」
バット君「俺は餃子(ボーズ)だな」
みんなも答えてくれました。
普通の会話をしていると、彼らがマンホールで暮らしていることなんか忘れてしまいます。
私の目の前にいる彼らは、他の子ども達と何らかわりのない7歳と15歳の少年でした。

5.アルタン君の住むマンホール
「どうぞ、臭いけど入っていいよ」
彼らの住むマンホールは街の中心地スフバートル広場から徒歩5分、都会の中の都会にありました。
広さ10畳程の空間に7歳〜17歳までの少年10人で暮らしていると言います。
マンホールに蓋はなく、近付くと鼻をつく匂いと生ぬるい空気を感じました。
(大人が待っていてレイプされたらどうしよう。土管が破裂したらどうしよう。)
少し怖さを感じましたが、覚悟を決め入ることにしました。片足を入れた時…
「待って!ボスが入った形跡がある。お姉ちゃん入らないで!」
結局、私は入れませんでした。その代わりにアルタン君が私のカメラにマンホールの様子を写して見せてくれました。
アルタン君の暮らすマンホール

6.アルペンゴールド
「これ、少しだけどプレゼントだよ」
アルペンゴールド(アルタン君の好物であるチョコレート)を差し出した私を見て、アルタン君は私に抱きつきました。
食堂を出た後、売店でアルペンゴールドが売られていたので、サプライズをしようと隠れて購入していました。
私は4人分のアルペンゴールドと、1日分の食費として200円を渡しました。
3人はアルペンゴールドとお金をパンツの中や靴下の中など、あらゆる所に分散させて隠していました。
別れの時、
「朋子姉ちゃん!気をつけて帰ってね。」
初めて私の名前を呼んでくれました。短い時間だったけど、友達になれた気がして目頭が熱くなりました。

7.オトさん
「これ、私の携帯番号。月に1回程度なら助けられるから。」
別れる前に、オトさんが自分の名刺を彼らに差し出していました。
それから毎月1回、オトさんの下にアルタン君から電話が入りました。オトさんは食堂に連れて行ったり、お弁当を作ってあげたりして、彼らを可愛がっていました。
オトさんは当時、大学院に通いながら孤児院で先生をしていました。学生時代から私と一緒に孤児院を訪問したり、マンホールを回ったりしてくれる良き友達です。
(オトさんがいれば彼らも安心だ)
そう思っていましたが、オトさんの携帯が盗まれ、アルタン君と連絡がとれなくなってしまいました。

8.再会を夢見て
2006年2月、吹雪の中、オトさんとアルタン君が住んでいたマンホールを訪れました。
そこには別の少女達が住んでおり、アルタン君のことは知らないと言います。
2007年2月、2008年1月と冬の時期を狙ってあちこち探しています。
青空市場、ゴミ捨て場、児童保護警察。
アルタン君を知っている少年、アルタン君の弟と2ヶ月前まで一緒に行動していたという少年、弟がやってくるというデイケアー施設。あと一歩の所まで情報を掴むものの、もう3年の月日が経ってしまいました。
最近、アルタン君が刑務所に入ったという情報も聞きました。真偽は定かではありません。

9. 4年ぶりの再会(2009年8月)
2009年8月、私は孤児院への奨学金授与のため、モンゴルの地を踏みしめていました。
到着初日、夕飯を食べている時に、携帯が鳴りました。地元NGOのソーシャルワーカーからです。
「アルタン君の居場所がわかったよ!」
私は居てもたってもいられなくなり、親友のオトさんと共にアルタン君が住んでいるという家をたずねました。お土産には、アルタン君の好物のアルペンゴールドを持って。
アルタン君は19歳になり、立派な青年へと成長していました。
警察で1年以上暮らしていたこともあったそうですが、現在はマンホール暮らしから抜け出し、母親と友達と共に、マンションの管理人室に住み、マンションの清掃をする仕事をしています。
弟は、自由気ままな生活に慣れてしまい、未だにマンホールに住んでいるとの事でした。
アルタン君は昔とちっとも変っていなくて、優しい口調、優しい瞳をしていました。
アルタン君と再会

10. マンションの管理人室での暮らし
アルタン君は誇らしげに自分の家を案内してくれました。
マンション管理人室の広さは1.5畳ほどで、頭上に階段があるため、壁が45度内側にくいこんでいます。寝る場所はコンクリートの打ちっぱなしに布をかぶせただけで、半畳ほどのスペースですが、ここで毎日友達と寝ているそうです。
アルタン君は、大人の優しさを増し、品のある素敵な青年になっていました。
その日は、本当に嬉しくて興奮でなかなか寝付けなかったことを覚えています。
アルタン君の家

11. スタイリストに(2010年2月)
2010年2月、再びアルタン君に会いに行きました。
なんと!アルタン君は美容室でスタイリストになっていました。
面倒見がよい方の紹介で、寮付きの美容室で働けることになったとの事。
(やっと、人並みの幸せを掴んだんだ・・・)
義理の父からの虐待から逃れ、弟を必死に守り、マンホールで大人達から暴力を振るわれても自分を失わなかったアルタン君。
環境が人をつくるというけれど、彼をみていると、人の力は無限なんだと思わされる。内から湧く人間のエネルギーを感じました。アルタン君の様に、私もたくましく生きていきたい。その時はそう思ったのです。
スタイリストに

11. 再び(2010年9月)
2010年9月、アルタン君は再びマンホールで暮らしていました。
美容室のオーナーに貸したお金を返してもらえず喧嘩になり追い出されてしまったとのこと。所持金も行くあてもなく、マンホールに。
「もう20歳にもなるのに、何をして生きていけばいいのかわかりません。朋子さん、オトさんはいつも助けてくれたから、力を貸してほしい。家が欲しいです。」人伝に届いたメッセージ。私は応えることも出来ないまま、またアルタン君と連絡が途絶えてしまいました。

12.銀行の前で血みどろの大ゲンカ(2011年9月)
アルタン君と連絡が途絶えて約1年。モンゴルの銀行で換金を終えた私は、その銀行前で、10人ほどの若者たちが血みどろになり大ゲンカをしている現場に遭遇しました。大学生グループとマンホールに住む青年たちが取っ組み合いの喧嘩をしているようでした。男子学生の彼女と思われる女子が「やめて!」と悲鳴をあげており、周囲は騒然としていました。
物騒だなと思いながら、喧嘩が終わるのを待っていたら、その中に知った顔が。アルタン君です。私が知っている優しい表情はなく、凄まじい表情で大学生を殴りつけていました。アルタン君の顔からも殴った相手からも血が出ています。喧嘩が終わった後もアルタン君は大学生に向かって「お前!許さない!」怒鳴り声をあげていました。弟思いで優しくて、盗みや暴力が嫌いだった彼が喧嘩に巻き込まれ、血を流している。その事実にショックを受け、声を失いました。洋服は破れ、体は汚れ、やせ細り、一見してホームレス状態だとわかるその姿は、まるで別人のようでした。
周りの人も近寄れない雰囲気で、私は彼の後姿をただただ見つめていましたが、ここの機会を逃したらまた会えなくなる、と意を決して「アルタン君っ!」と叫びました。彼は一瞬ギロッと私の方を睨みつけましたが、呼んだのが私だと認識した途端、慌てふためいて、口元の血を拭い、ばつが悪そうな顔をして私のところにやってきました。私のほうに来たときには、いつものアルタン君の表情に戻っていたのです。

13.警察沙汰に
どうして喧嘩をしていたのか、銀行の前で立ち話をしていると、先ほどの大学生が警察官を連れて戻ってきました。アルタン君の仲間たちは既にその場を立ち去っており、私とアルタン君は警察官と大学生に囲まれてしまいました。泣き狂った女子大生が「こいつが殴ったんです!こいつです!」とアルタン君を指し、大学生はアルタン君の胸ぐらを掴み、再び喧嘩に発展しそうな雰囲気になりました。
警察官は私に向かって「お前は誰だ!一体何事なんだ!」と怒鳴り、「この女、布教目的の悪人じゃないか!」と私を野次る人も出てきました。アルタン君は「違う!このお姉さんは前から僕を助けてくれている人だ」「悪いのは僕です。殴ってごめんなさい。このお姉さんは関係ないのです。本当にごめんなさい」と平謝りし、必死に私をかばってくれました。昔から他人を思いやる子だったので「ああ変わってないんだ」と思うと大人げもなく涙が出てきました。野次馬たちから、「貧乏で汚い嘘つき」「お前みたいな貧乏人は街を歩くな」など、たくさん罵声を浴びせられながらも、私とアルタン君は「本当にごめんなさい、私たちが悪いんです」と、とにかく謝って、その場を何とか収めました。

14.今の暮らし
銀行を離れ、人目につかない路上で話をすることにしました。彼は水たまりで顔を洗い、血を落とし、一息ついたところで口を開いてくれました。今は仕事はなく、マンホールで暮らしていて、アルコール中毒になった母親は行方不明、弟のブフは警察に保護されてしまって会えない。彼女がいたけど、貧乏で家もないから愛想を尽かして去って行ってしまった、といいます。
アルタン君は、「朋子姉さんを喧嘩に巻き込んでしまって、泣かせてしまって心が痛い、長い間連絡が出来なくてごめんなさい」と、自分の胸を指しながら何度も何度も謝りました。私は、アルタン君が悪いんじゃない、あなたの性格は良く知っているよと、言いたかったのですが、胸がつまってしまって言葉にできませんでした。
私は、自分の携帯番号を書いた紙とと少しのお金を渡し、「金曜日に児童保護警察にブフを一緒に迎えに行き、身分証明書を作ってくれる市の施設にも行こう」と言いました。彼は、「必ず電話する、一緒にブフを迎えに行こう」と言って、申し訳なさそうな顔で、私の手を長い時間握って、街中へ消えて行きました。

再会後のA君と照屋

15.深夜4時の電話
銀行前での喧嘩から数日後、アルタン君は盗んだ携帯を使って私に電話をくれました。それも深夜4時に。
「今日はいつも寝ている場所を人に取られたから、ずっと段ボールを引きずりながら寝る場所を探していたんだ。これから眠るところ。とても疲れたから、みんなで安いアルコールを買って飲んだ。日が出てきたから朝になったと思って電話したよ」
酔っ払っているようでした。夏といえど、夜には10℃まで気温が下がるモンゴル。寒空の下、段ボールを引きずりながら歩くのは厳しいものです。私は、朝9時に彼がいる場所に行く約束をして、電話を切りましたが、なかなか眠ることが出来ませんでした。
アルタン君はこれまでにも何度もSOSをくれていました。NGOユイマールで彼を支援する議題を検討しましたが、孤児院「太陽の子ども達」自立支援に注力すべきだとの結論となり、組織からの支援は叶いませんでした。個人的にも支援を求められてきましたが、リスクを考えてそれまでは応えることは出来ていません。しかし、私が支援を行えずにいる間、彼の状況は悪くなっていく一方でした。このまま何もしないでいいのか、自問自答し、「個人的に支援しよう。帰国までの間に出来る限りの事をしよう」と決意し、眠りにつきました。
翌朝、約束の場所に行くと、アルタン君は段ボールの中でもきれいなものを選んで、私のために埃を払って座らせてくれました。
彼が寝泊りしている場所は、ブルースカイという高級ホテルのすぐ裏にある草むらの一画でした。7人の男女で行動を共にしていて、他のグループに寝床を取られない限りはそこで寝ているそうです。どうやって生活の糧を得ているのか、聞くと、彼は一瞬黙りましたが、窃盗集団に属していることを正直に話してくれました。7人は全員で連携して、人々が集まる広場やデパートで、財布や携帯を盗んだり、女の子たちが売春婦を装ってホテルに男性を誘い出した後、ホテルの前で男の子たちがかつあげをしたりしてお金を得ていると言います。アルタン君は、もう二度と刑務所には行きたくないという思いから、実行犯ではなく見張り役を務めているとのことでした。
アルタン君の窃盗集団の仲間たちを紹介してもらい、私は驚きました。女の子たちはオシャレをして、化粧もしていて、とても路上暮らしをしているようには見えません。お金持ちのご令嬢、と言われても違和感がないほどでした。聞けば、洋服は近くの川で毎日洗っており、時間を持て余しているため、化粧を念入りにしていると言います。
A君の夏の寝床

16.窃盗集団をやめ美容師として働きたい
「本当は窃盗集団をやめたいんだ」
アルタン君は、つぶやきました。捕まって刑務所に行くことは何よりも嫌だ、と。
「数年前に窃盗で捕まって刑務所に入った1年間で、自分が自分でなくなってしまいそうになったんだ。刑務所の中は本当にすさんでいたよ。他の子たちの影響で、出所した直後は僕も荒れていて、『邪魔な奴は殺してもいい』と本気で思うようになってしまっていたんだ。それに、刑務所で、他の子たちには親や兄弟が面会に来ていたけど、僕を訪ねてくる人は誰もいなかった」
彼は苦しそうに語りました。
「あんな惨めな思いはしたくない。もう一度美容師として働きたい、人生をやり直したい」
そう言うアルタン君を応援したい。私は出来る限り、サポートしようと覚悟を決めました。

17.希望が切望に変わった日
窃盗集団から抜けて美容師として働くためには、第一に毎日帰れる家、第二に就職先が必要だという結論になり、手始めに私はアルタン君の住居を確保することにしました。
友人から、私が個人的に使っていい、ということで頂いていた5万円を使い、数日かけて業者をまわり、予算内で買える中古ゲルを購入しました。業者の人に、アルタン君の生い立ちや夢を話したところ「頑張りなさいよ」と言って、安くしてくれたのです。アルタン君の目は希望に溢れていました。
ゲルが完成し、「ここから新しいアルタン君の人生が始まる」と私も心を躍らせていましたが、そこから思わぬ展開が起きます。
完成したゲルの前で
アルタン君は、「家が建った喜びを分かち合うために、窃盗仲間に会いに行きたい」と言うのです。私は「窃盗集団の人たちとはあまり親しくしない方が良い、入り浸りになる可能性があるから家の場所は教えない方がいい」と言ったのですが、彼は「お世話になった人たちだから、縁を切ることは出来ない、助けてもらったこともあるから、次は自分が助けたい」と言い張ります。
私は無理やり引き留めることはせず、翌日会って将来の話をしようと、待ち合わせ場所と時間を決めて別れました。
しかし、翌日、いくら待てども、彼が待ち合わせ場所に現れることはありませんでした。彼が人から盗んで使っていた携帯に電話をしても、プリペードカードが切れていて、繋がりません。私からの連絡手段は断たれてしまったのです。当時、大学院に通っていた私は、その数日後に、悶々とした気持ちを抱えながら日本に帰国しました。
帰国後、モンゴル人の友人に、アルタン君が暮らしているはずのゲルを訪ねてもらいましたが、ゲルごと引っ越していて、アルタン君の居場所は分からないまま。あれから3年の月日が経ちましたが、私は再会を果たせず、彼が今生きているのか、何をしているのか、どこにいるのか、見当もつきません。結局、ゲルを建てた日が彼と会った最後の日になってしまったのです。
ゲル購入の合間に

18.過信した自己への反省
私はアルタン君が自立した生活を送れるよう、個人的にサポートを試みましたが、結局中途半端に終わりました。住む場所を確保して就職先を紹介すれば、彼の人生は拓ける、と思っていましたが、そう上手くはいきませんでした。
人の人生に関わるということは、そう簡単なことではありません。当時は大学院生で夏休みなどの長期休みにしかモンゴルに行けない私が、アルタン君の自立を個人的に支援しよう、と考えてしまったこと自体が甘かったのです。
人の人生に関わるためには、寄り添って、徹底的に関わる必要があります。また、「家が必要だから家を」「就職先が必要だから職を探す」等の行き当たりばったりな支援ではなくて、長期的に見て、自立のために必要な要素を洗い出し、ビジョンと計画を立てることの大切さを知りました。
子どもは支援者の自己満足のための道具ではありません。生きた”人”です。「支援漬け」という言葉があるように、支援者が考えなしに感情でやりたい放題やると、かえって相手をダメにしてしまうこともあるのです。
家を買ったことや、その他私がしたことが、アルタン君にとって良かったことなのか否か、会えない今は分かりません。ただ、アルタン君という生身の人に、私の「サポートしたい」という気持ちだけで、ビジョンも計画性もなく関わってしまったことは「中途半端な支援」であったと深く反省し、今後は「やるからには徹底的に」をモットーに携わろうと決心しました。

19.諦め癖を忍耐へ、自己否定感を肯定感へ
アルタン君は孤独でした。
親に捨てられ、長い路上暮らしの中で、一般の人とは異なる生き方をしてきたため、一般社会に馴染むことが出来ず、人から生い立ちを指摘されると、傷つき、関わることから逃げ出していました。社会から逃げ出した時に、彼の苦しみや孤独を理解してくれたのは、路上の仲間たちだけだったのです。
諦めそうになった時に、踏ん張れる何かが必要なのだと、アルタン君との関わりの中で私は気づくことが出来ました。
アルタン君に限らず、マンホールや貧困生活をしている子どもたちは、自信がなく、自己否定感が強い傾向にあります。また、長年の路上暮らしの中で「早々に諦めること」を覚えており、諦め癖がしみついている子が多いと感じます。
好転させていくためには何が必要なのか、活動の中で辿り着いたのは、「大きな成功体験」「見守って承認してくれる人の存在」です。

20.中途半端に終わった支援の教訓を胸に
私はアルタン君への中途半端に終わった支援の教訓を胸に、ユイマールでの活動を続けていきます。
最後の写真はふとした時に見せる、アルタン君のはにかみ顔です。
ある日、私とアルタン君の誕生日が同じ日であることが分かった時、
「朋子姉さんとの出会いは運命だったかも。前世で本当の姉と弟だったのかもしれない。」と言って、彼ははにかみました。
私はこの表情が大好きでした。
またいつか、この笑顔にモンゴルの街中で会えることを願っています。
はにかみ顔

– 終了 –