ゆいまーる設立まで
代表照屋朋子がNGOゆいまーるハミングバーズを設立した背景には、10年来モンゴルと関わる中で痛感した「現実」とはぐくんできた「想い」があります。このページではゆいまーる設立に至るまでの照屋とモンゴルの関わりをご紹介します。

それは、高校1年生の時、友達につきそいで顔を出した地域国際交流クラブの勉強会であった。
10人足らずのメンバーがモンゴルのマンホールチルドレンの事について勉強していた。
そこで見た少年の写真にショックを受けた。
6歳になるのに、マンホールの中で育ったためハイハイしかできない。
体は小さく、皮膚病で頭は禿げている。
高校生ながらに、この子ども達のために何かしたい、と思った。
その後、高校3年間はボランティア活動に明け暮れていた。
その中で「法整備支援家として国際協力に携わる」という夢を持った照屋は、2003年4月、早稲田大学法学部国際関係コースに入学。

大学2年の時に、NGOの活動に同行してモンゴルの孤児院『太陽の子ども達』を訪れた。
モンゴルへ向かう旅の途中、照屋は高校時代の勉強会を思い出し、荒んだ世界を想像していた。
しかし、いざ孤児院を訪れてみると、照屋を迎えてくれた子ども達は予想外に「普通」だった。
明るく、人懐っこくて、言葉が通じないにもかかわらずたくさん話かけてきてくれた。
みんな照屋の手を握りキスをしてきた。
モンゴル滞在中は、押し花をして遊んだり、牛をおっかけたり、満天の星空の下で歌を歌って遊んだ。
別れる前日、特に仲の良かった子ども達に生い立ちを聞いてみることにした。子ども達は語ってくれた。
物心ついた時から一人で路上生活をしていたこと。
両親が亡くなり遊牧民の家で奴隷のように働かされていたこと。
片親がいるが半年前に孤児院に預けたまま行方がわからないこと。
子ども達は語ってくれた。衝撃だった。
彼らはみな、その笑顔からは想像もできない過去を背負っていた。

帰国して2週間ほど経ったある日、モンゴルの子ども達が学校で書いた作文が照屋の元に送られてきた。
「トモコというお姉さんに出会った。母の愛を感じた」「次はいつトモコに会えるのだろう?」
手紙にあふれる、子ども達の思い。
春休みにもう一度この子達に会いにモンゴルに行こう、そう決意した。
それからは旅費を稼ぐため、アルバイトに精を出す毎日であった。
そしてようやく旅費の目途がついた2005年2月。
ありったけのお菓子と洋服をスーツケースに詰めて、照屋は2度目のモンゴルに向けて旅立った。
その後もさらに3回、大学在学中に計5回モンゴルに行った。本当にこの子ども達が大好きだった。

2007年4月、照屋は上智大学の法科大学院へと進学した。大学3年時には就職活動もしたが、弁護士になり、途上国の法整備支援家となって、モンゴルを支援したい。やはり、その夢は諦められなかった。
2007年6月、大きくなった子ども達が自立できず、またその子ども達を養うために、他に助けを求めている子どもを入園させられない状況があるとの報告を受けた。
高校を卒業して2年も経つルーヤ(19歳)はモンゴル芸術大学の試験に受かっているが、経済的に苦しく入学させられないということを聞いた。
このまま放っておいたら、せっかくの才能を摘むことになってしまう。
一人の力では学費を出せないけど、組織として活動すれば資金が集まるかもしれない。
何とかしたいという気持ちから大学院を休学、22歳の夏、母親から貰った5万円の資金を下に「NGOゆいまーるハミングバーズ」を立ち上げた。