代表照屋より皆さまへ

2016年1月27日(水) |カテゴリー:

NGOユイマールを応援してくださっている全ての皆さまへ

代表の照屋朋子です。
みなさまに大切なご報告がございます。
NGOユイマールは、2016年3月末をもって、すべての活動を終了することをご報告いたします。

2007年の設立以来10年間、みなさまから多大なご支援、ご協力を賜りましたことに、改めて、心からの感謝を申し上げます。
10年に渡り、モンゴルで活動ができたのは、みなさまのご支援、ご協力のおかげです。
誠にありがとうございました。

今回の決断に至った理由は、以下の二点です。
1. 設立当初、目標に掲げていた孤児院「太陽の子ども達」の自立が実現したこと。
2. NGOユイマールが2012年に新しく掲げた「世界中の子ども達が自尊心を持って暮らすことができ、自己実現を目指せる社会」というビジョンの達成には、現在の団体の形に限らない多様なアプローチが考えられること。

以下、ユイマール設立時の目的と、新しく掲げたビジョンの実現に向けた活動、今回の解散に至る経緯について、私の内面の動きも含めまして書かせていただきました。

長文で恐縮ですが、お目通しいただけると幸いです。

(要点のみをまとめたご報告は「NGOユイマール活動終了のご報告」をご覧ください。)

***

NGOユイマール設立時の目的

 NGOユイマール設立の3年前、私は、モンゴルで孤児院「太陽の子ども達」に出会いました。私は、そこに暮らす子ども達と姉弟の様に親しくなり、「太陽の子ども達」に足しげく通うようになりました。
 2007年、「太陽の子ども達」は「孤児院卒業後の自立」という課題を抱えており、私は、家族の様に接してきた子ども達の自立をサポートしたいとの思いからNGOユイマールを設立しました。
 子ども達が大学に進学し専門性をつけられるようにと「ユイマール奨学金」を立ち上げ、その後、自立のためには、子ども達の自己肯定感の醸成が不可欠であるとの気付きから、孤児院の音楽教育を支援し、来日コンサート開催やホームステイの実施を行いました。
 孤児院のエルデネ所長ふくむ先生方のご尽力と、私たちの支援が功を奏し「太陽の子ども達」卒業生たちは、モンゴル最難関の大学に次々合格していきました。国立大学医学部に主席で合格する子、最難関の音大に主席で合格する子もいました。
 2012年までにのべ50人の子ども達の奨学金を提供し、大学進学率90%、就職率100%を達成し、思い描いていた理想以上の状態を達成することができていました。

2012年、ビジョンを「世界中の子ども達」を対象としたものへ変更
 NGO設立から7年間は、「太陽の子ども達」のみを対象に、子ども達の自立支援を徹底的に行っていましたが、次第に、支援の範囲をひろげていきたい、という思いが強くなっていきました。
 また、高校時代から、アフリカの少年兵や中南米のストリートチルドレンの支援にも関心をよせていたため、活動地域をひろげたいとの思いも抱いていました。
 2012年に、NPO法人ETIC.主催の社会起業家リーダーシップ強化合宿や、社会イノベーター公志園出場で自らの思いを再認識したこともあり、NGOユイマールのビジョンを「世界中の子ども達」を対象としたもの変更し、活動の幅をひろげることにいたしました。

2013年、「太陽の子ども達」の自立達成後、支援を終了
 日本でのコンサートの成功によって「太陽の子ども達」は一段と輝き、多くの日本人支援者を魅了しました。日本の様々な団体が「太陽の子ども達」に注目し、支援を名乗り出るようになり、2013年には「太陽の子ども達」は、NGOユイマール以外の5団体から支援を受け、支援体制が強化されていきました。
 「太陽の子ども達」の支援をつづけて、子ども達の成長を側で見守りたいという想いもありましたが、NGOユイマールの支援がなくとも、孤児院での音楽教育、日本でのコンサート、大学進学の奨学金も十分いただける状況となっていたため、エルデネ所長らと話し合いを重ね、2013年6月をもって、全ての支援を他の団体に引き継ぎ、ユイマールからの支援を終了することになりました。
 その後も「太陽の子ども達」では、後継の団体によって、これまで以上に充実した支援と運営がなされています。

「太陽の子ども達」支援終了後、新たな孤児院支援をはじめるまで
 私も、ユイマールのスタッフも、「太陽の子ども達」支援終了という決断を前向きに捉え、ユイマールは新たな道を探すことにしました。
 当時、支援者の小城武彦さんからは「設立時の目標が達成されたのだからユイマールを解散してもよいのでは」と、堀内勉さんからは「世界中の孤児たちを支援するためには世界規模のNGOなど他の組織に属した方がよいのでは」とのアドバイスもいただきました。
 一方、私たちには「ゼロから育てて大きくなったこの組織を終わらせることはもったいない」「ユイマールの活動で得た学びを、世界中の孤児達の自立支援に活かしていきたい」という思いがありました。最終的には、ユイマールを解散する方法は選ばず、他の孤児院を支援する方向性を選びました。
 そして、半年の調査期間を経て、モンゴル国立孤児院、ドンボスコ孤児院と連携して、新たな自立支援に取り組むことに決めました。
 モンゴル国立孤児院では、自立に必要不可欠な自己肯定感の醸成のため、孤児院に音楽プログラムを導入し、4名のプロの音楽家を雇用し孤児院に派遣しました。その後、子ども達へのメンタリング、コーチング、孤児院職員向けのチームビルディングやワークショップを通して、一体感をつくり、孤児院卒業後の自立にむけて、孤児院とユイマールが一丸となって取り組みました。
 また、存続の危機に瀕していたドンボスコ孤児院に対しては、クラウドファンディングを用いて運営資金をあつめ、存続させることができました。

病気を経験し、孤児たちの自立支援への意欲がいっそう高まる
 新たな支援を始めてから1年が経った頃の、2014年10月、私は日本のスタッフとのミーティングや講演のため帰国しました。
 帰国前から、体調の不調があり、帰国一週間後に倒れてしまい、実家に戻って療養生活を行うことになりました。帰省後、中耳炎や副鼻腔炎を発症し、安静にしていましたが、高熱がつづき、12月に予定していた国立孤児院の来日コンサートを中止にせざるを得なくなりました。大変情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいで、「早く回復したい」と願うものの、症状は悪化の一途をたどりました。
 結局、6週間の発熱が続き、体力の消耗が激しく、30分程度会話しただけで疲れてしまい、文字の読み書きも気合をいれなければできず、毎日20時間ほど眠る日々を約2か月過ごしました。
 人との会話も、外出もままならず、「仕事復帰どころか、このまま社会生活を営めなくなったらどうしよう」と不安に押しつぶされそうでした。他の人が当たり前にできることができないことで絶望的な気持ちになり、自信を失ってしまいました。(後になって、モンゴルの高山病の一種である、ストレス性難聴にかかっていることが分かりました。約1年の療養を経まして、現在はほぼ回復しています。)。

人が自立して生きていくことの大変さ
 私は、療養中、人間が自立して生きていくということがどれだけ大変なことなのか、改めて考えるようになりました。2か月間、部屋からろくに出ることもできなかった私が、その後なんとか快方に向かうことができたのは、独力ではなく家族の助けがあったからです。それに対して、身寄りのない孤児として生まれた子どもたちが、どれだけ大変な状況の中で生きているのか…「世界中の孤児達の自立を支援したい。」私は、自分の経験を通して、孤児たちの自立支援の大切さと深さを再認識し、意欲をいっそう高めました。

自分の課題
 療養中のある日、私は、カンボジアの子どもの貧困をテーマにしたテレビ番組を見ました。テレビに映ったカンボジアの子どもたちを見たとき、ふと「私はこの子たちに『太陽の子ども達』と同じくらいの愛情を抱けるのだろうか?」と疑問が浮かびました。
 その時、私は自分の支援のスタイルが、愛情を土台にしたものだったことに気が付きました。「太陽の子ども達」は、19歳のときに出会って以来、ずっと一緒に過ごしていた、まさに家族のような存在でした。だからこそ、私は心からの愛情をもって接してきました。 
 しかし、10年かけて育んだ「太陽の子ども達」と同じだけの愛情を、世界中の子ども達に持つ事には限界があるのではないか。世界の子どもたちのために働くのであれば、家族のような愛情だけを土台とせず、子どもたちの抱える課題と自分が果たすべき責務に向き合う冷静さ、知識、技術が必要ではないか。
 プロフェッショナルとして活動するためには、これまでとは支援のスタイルを変えなければいけないと思いました。しかし、そうするには今の自分はあまりにも世界のことを知らないし、視野が狭いのだということに気が付きました。

ダボス会議へ
 毎年1月に、スイスのダボスで行われる世界経済フォーラム年次総会(通称、ダボス会議)。
 私は、倒れる直前に、ダボス会議に招待していただける枠(世界の若手リーダー50人)に選んでいただき、参加できることが決まっていました。
 病気を経験し、「世界中の子どもたちに貢献したい」という思いがよりいっそう強くなり、その実現のために、私がこれから何をなすべきか。自分が倒れて気が付いたこと−− つまり、孤児達が自立して生きていくことの難しさと支援の大切さ、愛情を土台にした支援の限界、そして大きな視野の必要性など、そうしたテーマや課題に対する答えがダボス会議で見えるかもしれないと期待をよせていました。

なぜユイマールにこだわるのか?
 ダボス会議での気づきは、本当にたくさんありました。
 ビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツのセッションでは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の持つ力の大きさ、そして何より世界の貧困を解決したいという彼らの真剣な思いと実行力に衝撃を受けました。
 財団の資産額が5兆円という莫大な資金を持ち、1000人以上の職員を雇用する非営利団体。同じ非営利団体としてNGOユイマールを比べた時に、「私はなぜユイマールにこだわるのか」考えるきっかけを貰いました。
 ユイマールの代表としてこのまま活動を続けていくことと、仮にこの財団に一職員として参加し、ビルとメリンダを説得して自立支援のプロジェクトを起ち上げたなら、どちらが世界に大きな貢献をできるのだろうか?
 実際、ユイマールで活動しているとき、「もっと組織力があれば!」と思ったことは何度もありました。モンゴルでは、多くの孤児院から支援要請がありましたが、ユイマールのスタッフ数、予算では、いくら支援したいという思いがあっても現実にはそれは不可能でした。
 また、モンゴル国立孤児院で音楽プログラムに参加できたのは、200人の子どものうち60人だけでした。すべての子どもたちに、自己肯定感を高めるチャンスとなる多様なプログラムを提供したいと思うこともありました。
 ビル&メリンダ・ゲイツ財団のような大きな組織の力があれば、こうした夢も実現できるのではないか。それまでは、「自分の団体で」「自分の力で」何とかしようと思っていた私ですが、世界にインパクトを与える人たちと手を組み、より大きな貢献を成し遂げるという生き方もあることに気付かされました。

ビジネスで社会に貢献する可能性
 ダボス会議に参加して、社会への貢献方法もさまざまであることも学びました。
 特に大きな影響を受けたのは、ダボス会議に参加していたリクルートホールディングスCEOの峰岸真澄さんとの対話です。コーヒー片手に何気ない話をしていた時、峰岸さんが「リクルートを通じて、人々の生産性を高め、機会の均等化を成し遂げたい」とおっしゃいました。
 リクルートの「受験サプリ」は、勉強のための膨大な教材、入試情報を安価に提供することで、経済的に恵まれない家庭の子どもにも学びのチャンスを与えるものだと峰岸さんは語りました。峰岸さんから「ビジネスを通した貢献とその可能性」をうかがいながら、億単位の先行投資を行い、日本全国規模で一気に展開する大きな貢献は企業だからできることだと実感しました。
 それまでは、ビジネス=お金儲けという、漠然としたイメージしか持っていませんでしたが、ビジネスの世界の持つ可能性に心から感動しました。世界の子どもたちの自立に対しても、ビジネスを通した貢献の仕方があるのではないかと想像しました。

ユイマールを退くことを決意
 「孤児」「モンゴル」しか知らなかった私は、ダボス会議参加を通して、人類が抱えるさまざまな課題と、その解決へのアプローチを垣間見ることで、大きく視野が広げられた思いがしました。
 世界への貢献の手段として、NGOが唯一の正しい方法だと思い込んでいたものの、ビジネスや政治、宗教など、さまざまな方法で世界に働き掛けることができることを知りました。
 また、世界中の子ども達に貢献するためには、国際政治や世界の経済の動きなど、広い視野が必要であることにも気づかされました。
 スイスからの飛行機の中で、私はなぜユイマールを創設したのか、思い起こしていました。思えば、ユイマールは「太陽の子ども達」のために組織したNGOで、全てが「太陽の子ども達」を前提としていました。ビジョンを変更した2年前からは「世界の子どもたちの自立」が対象になっていたはずなのに、私自身は視野の持ち方やアプローチのしかたを変えることができていないことに気付きました。
 新しい目標に向けて歩き始めるのであれば、いままでと同じ靴を履き、同じ歩き方をしていてはたどり着けないことを実感し、日本に到着する前には、いったん既定路線を外れてみようという思いが強くなっていました。
 ダボス会議で、他の参加者にも相談したところ、「大切なのは手段(職業・組織)ではなく目的(志)だ」「常に影響力の大きさを考えるとよい」など、助言もいただき、決意を固めました。

スタッフへの報告
 帰国後、ダボス会議での体験と自らの決意についてスタッフに報告しました。
 私の決断に納得できないと真っ向から言ってくれたスタッフもいましたし、私の決断を支持してくれたスタッフもいました。
 私が退いた後もユイマールで活動を続けたいと言ったスタッフもおり、後継者がいればユイマールを任せようと思っていましたが、たくさんの話合いを重ね、NGOを解散することを選びました。ユイマールという組織を離れても、志はみんな共通。これからは、各々の分野で、世界中の孤児達の自立をサポートしていこうと意を新たにしました。

モンゴル国立孤児院への報告
 解散という結論がでた後、モンゴルへ渡航し、国立孤児院のボルマー所長や子ども達にも報告と、支援の終わり方についての相談に行きました。
 はじめに、ボルマー所長に報告を行い、長い時間をかけて話合いました。そして、子ども達を集めて報告を致しました。その際には、ダボス会議での経験を詳細に共有し、「みんなを含む、世界中の孤児たちの自立の達成」という夢を達成するために、やり方(組織)を変え、チャレンジを続ける旨を説明致しました。
 決して子ども達や先生のことが嫌いになったからユイマールを辞めるのではないということ。
 短期的には関われなくなるけれど、10年後15年後に、あなた達に、孤児院全体、モンゴル全体に貢献するための挑戦だということ。
 今、関われないことは本当に申し訳ないと謝ること。
 組織がなくなっても、子ども達や先生たちとの個人的な関係は続けたいということ。
 対話をかさね、丁寧にやり取りをしながら決断を伝えました。先生や子ども達は寂しさを見せながらも「全面的に応援する」「また将来、一緒に力をあわせて働こう」「ユイマールからの支援がなくても、夢をかなえるために努力し続ける」「最近、孤児院の男の子達5人で自主的に馬頭琴バンドを組んだ。その活動を頑張る」と言ってくれました。

国立孤児院による自立支援プログラムの発展
 日本でのコンサートが中止になった後、国立孤児院の先生方は、「中止」を悪い側面から捉えるのではなく、糧にできるよう、子ども達への声がけをしたといいます。
 音楽の練習を続ける様サポートし、子ども達が努力した結果、ロシアとブリアート共和国から声がかかり、計20人で海外公演に臨んだそうです。さらに、音楽プログラムを受講している男の子5人が馬頭琴バンドを組み、モンゴルのスター発掘番組「アビアスラック・モンゴル」に出演し、決勝まで駒を進めました。孤児院での生活のドキュメンタリーも放送され、5人の馬頭琴バンドは大使館にも招待されるまでになりました。
 さらに、ボルマー所長は、ユイマールとの2年間の連携をもとに、モンゴルで初めての「孤児の自立」に関する論文を執筆、発表されました。ユイマールとの共同プログラム実施の結果、自立で大切なことは、子ども達が自分で夢を設定し努力する力、自己肯定感などの13項目ということが分かり、それを論文にまとめられました。孤児院職員向けの「子ども達の自立のためのガイドブック」も作り、モンゴル全土の孤児院への配付も予定しているそうです。

支援の終わり方
 2016年4月以降は「音楽教師の派遣」に関してはモンゴル政府に、「自立支援プログラムの実施」はボルマー所長はじめ国立孤児院に引き継がれることになりました。
 子ども達の目覚ましい活躍と、自立支援の重要性から、モンゴル政府が国立孤児院の自立支援プログラムを支援することが決まり、ユイマールが雇っていた4人の音楽教師の給与も全額助成されることになり、更なる充実に向けて、新たに4人の音楽教師を雇用できることになりました。
 ユイマールからの最後の支援については、ボルマー所長と話し合い、「自立支援プログラムの基盤作り支援」ということで、新たに15種類の楽器と、35の音楽機材を購入し、贈呈させていただきました。
 
今後について
 2016年3月、NGOユイマールの活動は終了しますが、私たちはより大きな視点で世界に、子どもたちに貢献するために、いったん「モンゴル」「孤児」という枠をこえて、広い視点で学び続けていくつもりです。NGOユイマールの解散は、より深く、大きく、世界に貢献するための発展的な活動終了、新しい挑戦であるとご理解いただければ幸いです。
 それでも今回の決断に、皆さまにご納得いただけないこともあるかと存じます。今、申し上げられるのは、「10年後、15年後、もっと大きな貢献を、世界に対して果たすことで、皆さまに今回の決断を認めてもらえるようになりたい」ということだけです。
 今後、私たちは、各々の分野で、各々のアプローチ方法によって、世界中の孤児達の自立をサポートしていく所存です。
 私は、世界の貧困や子ども達の現状を知るために、アフリカでは少年兵、中南米ではストリートチルドレン、旧ソ連国ではマンホールチルドレンの現場に行くことを予定しています。
 また、愛情だけを土台としないプロフェッショナルとして、社会に貢献する方法を学ぶため、欧米や新興国にも赴き、より大きなインパクトを持って、世界に貢献されるNGO、企業、学術機関、国際機関、個人の活動家の方から、社会課題の解決法を学ばせていただきたいと考えております。
 これまでお世話になった皆さまには、よろしければ、メールなどで私の新たな活動や方向性を報告させていただきたいと思います。
 「世界中の子ども達が自尊心を持って暮らすことができ、自己実現を目指せる社会」を実現したいというNGOユイマールのめざしてきたビジョンと、これから私たちがえらぶ道は今も軸を一にしています。これまでご支援をくださった皆さまのご理解を心よりお願いする次第です。

モンゴルの孤児院の連絡先
 モンゴルに行かれる機会がある方、今後もモンゴルの孤児院の支援を継続してくださる方がいらっしゃいましたら、下記へ直接連絡していただき、皆さまとモンゴルのご縁を少しでも継続していただけけると嬉しく存じます。
 国立孤児院のボルマー所長、ドンボスコ孤児院のアンディー所長からは、いつでも皆さまをお迎えしたい、子ども達の成長をみていただきたいとの言葉をいただいております。

<モンゴル国立孤児院> 
  連絡先:Burmaa Baidorj(ボルマー所長)英語、モンゴル語 可能
  Email:Burma_11(at)yahoo.com

<ドンボスコ孤児院>
連絡先:Father Andrew (アンディー所長)英語、モンゴル語、ベトナム語 可能
  Email:andtin2000(at)gmail.com
※(at)を@にご変換ください。

最後に 
2007年の設立以来10年間、みなさまから多大なご支援、ご協力を賜りましたことに、重ねて、心からの感謝を申し上げます。
この10年のことを思い返すと、本当に多くの方のお顔が思い浮かびます。

モンゴルの子ども達。先生方。
モンゴルでの活動を現地で支えてくださった皆さま。
NPO、NGO、Global Shapers、公志園関係者などの志を共にする皆さま。
社会起業家支援団体の皆さま。協賛してくださった企業の皆さま。
個人的に相談にのってくださった皆さま。
毎月継続的にご寄付をくださり、ユイマールを支えてくださった会員の皆さま。
写真展や講演会、コンサートに足を運んでくださった皆さま。
苦楽を共にし、共に歩んできたスタッフやボランティアの仲間たち。

楽しいことも、苦しいこともありましたが、
10年に渡り、モンゴルで活動ができたのは、みなさまのお力添えのおかげです。
誠に、ありがとうございました。

末筆ながら皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。

NGOユイマール 代表 照屋朋子

コメント(4)

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照屋さん
突然のご報告を驚きを持って受け止めました。
先ずは10年間の誠実なご活動、本当にご苦労様でした。
彼らの来日コンサートに参加した小職の子どもたち前後の変化は絶大でした。多くお学びをいただいたと感謝します。
照屋さんの今回の決断を尊重します。また新しい形で社会の、世界の未来を変える活動へ昇華されて行かれる事を念じて止みません。何時までも志し高い照屋さんの活動を応援しております。
頑張って下さい!
髙本 拝

2016年1月28日(木) 投稿者:takamoto

照屋朋子様
弁護士の竹之下です。2014年のコンサートとその際のモンゴルの子供のホームステイ先になったのですが中止になって残念な思いがありました。中止の理由が貴女のの病気と伺い心配していましたが、治癒するまで1年も要したとのことで長く辛い経験をされましたが、このお便りを読むと気持ちはすっかり元のもどられたと感じました。辛い経験をプラス思考に転換するのはさすがです。今後はご自身の健康には常に留意されますますご活躍されることを祈っています。お手伝いできることがあれば幸いです。

2016年1月28日(木) 投稿者:竹之下義弘

照屋様、ユイマールの活動を長年続けられてきたこと、本当にお疲れ様でした。
私は僅かな寄付するのみで何のお力にもなれなかったこと申し訳なく思っています。
新しい道を決断されたこと、素晴らしいと思います。
どうぞ、お身体には気を付けて存分にご活躍ください。

ならき

2016年1月29日(金) 投稿者:楢木 浩典

Readyforでお見かけしてから、僅かですが支援をさせていただいていました。皆様のこれからご活躍を願っております。
もし、何か新たな活動をされるのであれば、支援させていただきたいと思っております。

2016年2月6日(土) 投稿者:石井周栄

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